genki switch

祁答院町黒木817-4で整体してます。

【眼をひらく】

genkiswitch2013-08-23

僕の父親は、十数年に渡って、無農薬無除草で米を作っています。正確には「農薬は必要なく」「雑草が生えない」「山下式無草農法」です。実際のところコストも手間もかからず、収量はおよそ3倍、食味値は魚沼産のコシヒカリを越え、その上に地下水浄化が可能で農薬の害も消せるという環境に働きかけることのできる珍しい方法です。ですが、不思議なことに、その事実を話すと「信じられない」と言う反応が返ってくることも多いのです。実際見に来たヒトでさえ「信じられない」とい実際に取り組みません。そこには「信じる」必要などはありません。見ればそこにあるからです。信じるという行為には論理的なジャンプがあります。どれだけ論理的に詰めて組立てても「信じる」という行為には至りません。この稲作は違います。目の前に実践と結果という現実があるのです。ですがヒトはその現実を見ようとしません。ヒトはたくさんの現実に対して「盲」の態度を取ります。例えば放射線が危険だと言うのは事実です。近距離で浴びれば即死する程の強い力を持っています。長期間浴びても子々孫々に渡って良いことはありません。でもそれらの部分には眼をつぶって「電気」を求める。正確には「短期的に安くて楽チン」という、時間的経済的労働的なメリットを選ぶ。でも「時間的経済的労働的」に本質として効率のいい「無草農法」にも眼を閉じる。いったいヒトは何を目指しているのでしょうか。無草農法に取り組めないほとんどのヒトが持っているのが「プライド」です。プライドが自分の可能性を無くしてしまう。自分のやり方にこだわる。というより「自分」にこだわります。そういうヒトが基準を変えうる対象は「権威」です。権威だけがプライドをはずす事が出来ます。残念ながら父の農法は講習会も開きませんし、特許も無く権利も主張していませんから、その余計な「権威」もない訳です。現実を見て、そこに実現していることを真似るだけで、楽しい稲作に変わることは間違いありません。もちろんそれぞれの田んぼには、それぞれの特徴がありますから、本質を真似て適応させなくてはなりません。もしあなたが、本質的に時間、経済、労働的なメリットを選び、なおかつ環境に良い、おいしいものが食べたければ「プライド」捨てて眼をひらくだけで、学び、始めることができます。


もうひとつだけ、信じられない「かもしれない」話をすると、父は苦労の末にこの農法を始めた訳ではありません。様々な要素を結びつけ、思考し、初めの年から「無草化」に成功しているのです。ひょっとするとこの感情に訴えかける物語性のなさも「信じられない」と反発する要素なのかもしれません。