genki switch

祁答院町黒木817-4で整体してます。

【信じる身体】

genkiswitch2013-05-24

信じることについて、ずいぶんと考えたことがありました。どうすれば信じられるのだろうか。信じる理由は何なのか。信じる対象やその理由についてどれだけ考えても信じるというところに至らないことに気がつきました。論理的にはジャンプしないと信じると言う態度に繋がらない。つまり論理的なものじゃないんですね。どちらかと言うと身体的なもの。感覚的なものでしょうか。結局その考える過程はふと終わって、「あ、僕は信じているんだ。」と感じておしまいになりました。不安や自信なども身体的なものです。骨盤の状態によって不安や自信が湧いてくるのだそうです。「信じる」と動詞になっていると、なにか頭で考えて、理解して行うという誤解に陥っていますが、身体的な事柄をコトバにしているのです。コトバを理解する対象として捉える。この「理解」が厄介なのですが、そう考えるようにしつけられている感じがします。動作を表すコトバのほとんどが考えてわかるものではありません。走れないヒトが「走る」を理解して実現することは難しい。でも走れるようになれる。でももっと先の「走る」も存在している。でもそれを記述することは難しい。でもカラダの動きを「見て」「真似る=まねぶ=学ぶ」ことはできる。「信じる」も行為からしか見えて来ないものであって、「学ぶ」ものなのです。頭でやるとすれば、その行為に関係する周囲の条件や、関わっているヒトビトについて考え、余計な要素を排除する作業の方でしょう。余計な要素を排除して、純粋な行為を見る、感じる。そしてまねぶ。僕らは実に身体的なのです。コトバの問題に陥る時、行為の問題に陥る時、信じることができない時も、自分の身体に戻って感じ直してみてはどうでしょうか。