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祁答院町黒木817-4で整体してます。

【食物の秘密】

 身土不二とも言われますが、身近な場所で取れたモノを食べることがカラダに良いという考え方があります。ボクの言うセトリングコンセプトから説明を試みます。エネルギーが高いものをとるという考え方では説明できないのが身土不二です。もちろん身近な材料が遠くに運ばれることによって失うものもあるでしょう。ですが、その説明はエネルギーという言葉で理解されにくい。言ってみればエネルギーという言葉が誤解を招き理解を妨げています。


 少し具体的に行きましょう。食べ物を得るには様々なエネルギーが必要です。その実際の量は判らないものの、プロセスの一つ一つはエネルギーが使われていますから、プロセスを数えるだけでも参考になります。農作物の場合、種を蒔くところからはじめて成長過程では水を与え(一般的には)消毒、施肥をします。成長後には、収穫、洗浄、「箱詰め、出荷(トラック、列車、航空機)市場での売買、販売店(工場)まで搬送、店舗での出荷準備もしくは加工、消費者が購入」、自宅まで持ち帰り、調理して食事。細かいことを省いてもこのくらいのプロセスが考えられます。それに対して自宅の庭で取れたものを食す場合、「カギカッコ」の中のプロセスは不要です。プロセスその一つ一つが何処かに記憶されているという前提ですから、ある一つの食品が口に入るまでのプロセスが多ければ多い程エネルギーの合計は多くなります。摂取したモノから必要な成分を取り込んでそれ以外の不要なエネルギーを排出するにはカラダはそれだけ余計に働かなければなりません。もし排出できないエネルギーがあればそれは何処かで安定な状態をとることになり、カラダの中に偏り、つまり病気や不調が作らます。身近なところで取れた食品であればそんな必要がありません。ですから身近な場所で取れたモノを摂取するコトはカラダに負担をかけないのです。それだけでなく、新たに取り込まれた不要分が少なければ、それまでに取り込んだ不要なエネルギーを排泄することができますから、カラダは快方向へ向かいます。


 では消毒や化学肥料が使われることはどうでしょうか。これは作物の収穫後加工時に使われる添加物なども同じです。それは石油や天然の材料から精製され合成されるまでのプロセスが多く、その分一旦取り込めば排出すべき過剰なエネルギーを持っているからです。また、自然界には存在しないものを作る訳ですからかなりのエネルギーを必要とします。その集積されたエネルギーの塊で食事を作リ食べることは、その多すぎるプロセス=エネルギーを体内に取り込んでしまうことになります。人は取り込んだその農薬や化学肥料のエネルギーをも排出する苦労を背負い込むことになるのです。それは精製度の高い食品なども同じで、真っ白な食品などその働きや成分から害であるとされるものも、このエネルギーの線上に乗せれば精白していないものの方がカラダにとって有利なことがわかります。とは言っても米をモミのまま食べることはできませんし、消化器の弱っている人が玄米をとっても吸収されることはないでしょうから、人に合わせて食べられる程度の加工が必要なことは言う間でもありません。面白いのは加工に使うエネルギーによって旨味が変わることです。たとえば機械で大量に製粉したものは、その搬送過程においても薫りが飛んでしまって美味しくないとは言われます。ですがそれだけでなく石臼引きは美味しいと言われますし、電気で挽いていれば手で挽いたもののほうが美味しいと言われます。成分で説明できるでしょうが、同時にこの使用したエネルギー量という点から観れば説明がつきます。そういう視点で見ても無農薬無化学肥料で自然栽培したものの旨さの理由が判りますし、自然栽培の中でも味に差が出る理由が判ります。


成分やカロリーに頼っていては身近なものが身体に良いものの理由は判りません。身近で収穫されたものを食べることは「余分なエネルギーの少ない安定したモノ」を食べるということなのです。それがカラダに余計な作業をさせず、必要な成分を摂取するだけでよい。人は食物を消化することだけでなく余分なエネルギーの排出にも自分の身体を使わなければならなくなると考えればわかりやすいかもしれません。「エネルギー的にはスカスカの滋養に満ちた食品をとることが大切だと言うのが「身土不二」という仏教用語で語られる食養生の基本と考えています。