genki switch

祁答院町黒木817-4で整体してます。

【頓着しない】

genkiswitch2012-09-17

最近やって来たテレビ。ずっと欲しかったことは、前に書いたけど、本当に欲しいものが、すっかり忘れるとやってくることを久しぶりに体験した。15年くらい前の、欲しいものがやってくる鋭さが戻っている感じだ。その鋭さっていうのは、5〜60人のじゃんけん大会で景品だったスノーボードを見て「あ、ぼくのだ」と思ったら手に入っちゃう感覚のこと。そのときは、じゃんけんの次の手が全部浮かんで来た。ホントに欲しいもの、ホントに必要なものは勝手にやってくる。その為に必要なことも全部目の前に現れる。そう考えると「あれが欲しいこれが欲しい」っていわなくてもいい。モノを見るのは楽しいから続くけど、欲しがって、算段するのを保留してみたい。素のまま、つったってるだけ。うさとの服の話も似ている。いいなコレと思うとお財布にちょうどお金が入っているらしい。この世はそんなところで動いている。だから、ひょっとしたら「原子力発電所」に対してもどっかでまだ「必要かも」とか「これまで許して来たからしょうがない」という気持ちがどこかにあるのかもしれない。それを自分に説得する為にいろんな証拠を探しているだけかもしれない。もしホントにいらないやって思い切れた時には無害化されているかもしれないし消えてなくなっているかもしれない。


最近、ぼくの教室に参加してくれた素敵なご婦人が、東の方に旅行に出かけた。そのついでに、池上六朗先生の施術を受けて来られた。池上先生は、「山下さんは仕事してるの?」と訊かれたそうで、その話を聞いて「してるよね〜」って大笑いしたけど、家に帰ってから、けっこう深い問いだと気づいた。池上先生の言葉は、他意は無く、ストンと出てくるけど奥が深い。そのまま受け取れば、僕の答えは正解だけど、なんか違う気がする。それは、必要なものが手に入るのと同じ話。「ホントに仕事が欲しいかな」と考えてみると4年程前を想い出す。たくさんのヒトを町中で診せてもらっていて、遠くまで仕事に出かけていて、整体教室の生徒さんも次々に来てくれていた頃だったけど、なんだか辛かったし、どっかで傷ついていたような、誰かに恨みや妬みを持っていた記憶がある。それは他人の所為ではないし、場所の所為でもない、僕自身の問題だったことは確かだ。そういう意味では仕事は欲しくなくなっていたのかもしれない。その気持ちが最近やっとほどけて来た。もっと「深く=浅く」調整していきたいという気持ちも湧いて来ているし、その為のアイデアもことばも出来て来た。なんとなく準備が整いつつある。そんな中から、あれ欲しいこれ欲しいを生活の中心に置かないでポカ〜ンと暮らしていけば、他のヒトからも「仕事をしてる」ように「見える=感じる」状態になるだろう。色んなことに頓着しているヒトは素敵に見えない。それはモノだけじゃなく過去も未来も現在もだ。どうせ生きていくのなら素敵にポカ〜んとにしようとなんとなく想い始めている。