genki switch

祁答院町黒木817-4で整体してます。

【サリン事件】

genkiswitch2017-07-22

もうすっかり忘れ去られている一連のサリン事件ですが被害者のその後はどうなっているのでしょう。50歳を越えて初めて村上春樹さんの作品を読んでいます。その中に「アンダーグラウンド」という地下鉄サリン事件の被害者インタビュー集がありました。仰向けになって読めないくらい厚い本です。読み終わって気になるのは後遺症です。調べてみると今もまだ後遺症に悩んでおられる方がおられますし、サポートを続けている団体もあるようです。それはそうですよね。近所で起きた交通事故の後遺症でさえ10年20年立っても解決していないものがありますから当然のことです。サリンは神経毒なので一般的には化学的な対処が正しいのでしょうが、症状の一部は身体調整で消える可能性があります。神経毒の作用はともかく、その症状はカラダ(とココロも)にある種の衝撃を与えています。衝撃は大きな偏りを作り出します。サイズではなくエネルギー的な偏りです。ですから頭痛や目の異常は頭蓋骨の緊張を解くことで変化するはずです。また症状の現れている部分以外の調整を細かく行うことで総体的に楽になります。ストレスを抜くことも役に立つかもしれません。あまり表には出てきませんがきっと隠れた症例をお持ちの治療家がおられるんじゃないでしょうか。世の中にはたくさんの事件や事故で被害を受けた方がたくさんおられます。でもほとんど数ヶ月から数年で忘れ去られて行きます。つい数年前に起きて継続中の原発事故ですら忘れ去られています。忘れないことは難しい。でも被害を受けた方々をなんとなくでも心に留めて日々の施術を行っていればどなたかのお役に立てることもあるかもしれません。

【へたくそ文】

こうやっていろんなことを文章にしていると、ホントに文章を書くのは難しい。小説を読んでこの作者下手だなぁとか勝手に思っていますが、じゃあ書いてみろよと言われればごめんなさい絶対に書けません。今一冊も読んだことのない村上春樹さんのインタヴューを何故か読んでいるのですが、「文体を作る」とか「書く技術」とか出て来て小説家って技術者なんだな〜とつくづく感心しています。その点ボクは全く技術がなく、言いたいこともまとまらないのに、毎回100人前後の人が読んでくれていることは恥ずかしいやら申し訳ないやら、みなさんどうもありがとうございます。誠に申し訳ありませんが、このへたくそ文は今後も続いて行きますので、温かく見守ってやってください。

【ココロの罠】

批判的なことはきちんと書かないといけないのかもしれません。前回【似非カガク】を書いたおかげで次のブログが書けなくなってしまいました。気がついたら2週間経っている!今月は書きたいこといっぱい書いて行こうと思っていたのに結局書けていません。書きたいことをどこかで止めてしまったのだと気がつきました。


前回書きたかったのは、エセ「科学」と言うその「科学」はどこまで本当なのかという点です。偉そうな先生も嫌いです(笑)。もちろん科学的な言葉を使うのであれば、科学的な検証方法に乗っ取って証明して行くことが必要です。ですが検証方法が今のところ見つかっていないものもあります。(別の機会に書きますが、スピーカーの音の善し悪しもそうです。)検証できないからと言ってそこに起きた現象がなかった訳ではありませんし、それを報告してはいけないということではありません。ただ、今の世界は科学(と経済)が一番偉いかのように振る舞っています。そして科学の言葉を借りてたくさんのことが語られる。誰かが面白がって何かを取り上げるとその説明を求められる。すると、ちょっと科学の言葉を借りて、同時に文学的な言葉を借りて、そこにスピリチュアルな表現を交えて喋ったりしてしまう。それが本になってしまったりする。偉そうな学者さんに突っ込まれる。それを解決するには、受け取る側も発信する側も態度を改めれば良いのではないでしょうか。問題は科学的な証明を欲しがるという点です。でも証明できないものも多い。きっとこれに理由をつければエセ科学になるのでしょうが、福島の田舎に住んでいた時に近所のおばさんが言っていて実感できた事実で、「お風呂のお湯は、温泉>薪>灯油>ガス>電気の順に柔らかい。」というものがあります。温泉が一番柔らかく電気が一番硬い訳です。これは実感できますが、証明できません。ここでお湯の「クラスター」とか言うとまずエセ科学になります。「分子構造が・・・」とかそんな説明にするからエセ科学になる訳です。ですが「不思議なことに」そう感じる。というだけならエセ科学とは呼ばれません。


 また、「なぜ」を追い求める道筋を「一つの原因」を求める道筋に置き換えてしまうことも問題です。一つの原因で何かが起きていると考えることは自然ではありません。ボクの本業である身体調整において、不調に対してまず問われることは「原因は何でしょう?」です。ですが、原因(と思われるもの)がすべてを解決するとは限りません。そもそも病気になった時にその原因に向き合って解決するかと言うとそんなことはないのです。実はほとんどの病気の「本当の」原因は判っていませんし、ほとんどは原因解決ではなく対症療法に過ぎません。例えば、命に関わらない病気の一つで、原因がわかっていると思われるアレルギー性鼻炎が出る人がいる。でも、少しカラダの調整をすると鼻炎は出なくなります。実際はアレルギーを無くした訳ではありません。きっとアレルギー検査をすれば、何も変わっていないでしょう。ではこのときの本当の原因は何なのでしょう。科学的にはアレルギーを遺伝的にまたは後天的に持っていることなのでしょうが、そんなものはいじらなくても解決してしまう。他にも以前は胃潰瘍だと言うと胃を切っていました。盲腸だと言うと切っていた。でも今はそんなことはしません。科学が本当に正しいことだけで成り立っているのであれば、技術の進歩や新しい手法などで対処法が変わる訳はありません。進歩と呼べるかどうかも疑問です。ですが言い方は簡単過ぎますが、「モノは高いところから低いところへ落ちる」これは変わらない。でもその後に続く様々な技術やそれを支える理論や技術は残念ながらそこまでの普遍性はありません。そして残念なことに僕たちは全てを見通すことはできないという根本的な問題も持っています。ですから、今起きていることを、時には熱く、時には冷静に見つめて、人に伝えながら本当のことを探し求めて行くという態度、答えはこれだけではないかもしれないと言う謙虚な態度が必要でしょう。



あ〜、スッキリした。

【似非カガク】

 治療の世界にはたくさんのエセ科学があります。「これを飲めば治る」というものがその際たるものでしょう。ある先生が「たった一つのもので何でも治る万能薬はないのだからそういうふれこみのものには気をつけなさい」云々と書いておられました。確かに気をつけた方が好いでしょう。それが高額であればなおさらです。ですがそんな「たった一つのもの」が存在しないと決めつけてしまうのは科学的な態度とはいえません。万が一それが本当に効果があるモノであれば、病気自体の成り立ちを考え直すことになり、たくさんの人が救われるかもしれません。本当の意味で科学が発展するキッカケを作ってくれるかもしれない可能性を捨ててしまうのは惜しいですよね。

【周波数特性】

genkiswitch2017-06-09

スピーカーの話です。周波数領域からの視点からだけでは音楽再生は出来ないという話があります。ボクも実際にそうだとは思っていますが、現在、周波数特性をとことん追求したスピーカーはありません。どちらかというと馬鹿にしているふしすらあります。過去に日立=Lo-Dの河村さんという方が設計されたHS-10000というものがありました。可聴帯域をカバーし、他に類を見ないフラットな周波数特性を実現したものです。平坦な特性を目指す為に壁に埋め込み無限大バッフルとして使うことが前提と言う、世界に四台しかないものです。この音を聴いたことはありませんが、そういうアプローチも大切なのではないかと思うのです。オーディオだけではありませんが研究者が逃げている部分がある様な気がします。予算の問題もあるのでしょう。もちろん音楽を再生するにあたって全ての条件を理想的にしなければならないという訳ではありません。また、耳で聴いてそれと同じ音が出せるスピーカーを作りあげることすらとても難しいことですが、研究者であれば周波数をフラットにする方法について考えて行くことも新しい世界を切り開く一つの切り口になるはずです。


※実際には可聴域を全て再生できなければならないかと言うとFMの生々しい音楽を聴けば高域は16KHz以下でも十分な気がします。低い方はどうでしょうか。ラジオから流れる瑞々しい音はたぶん100Hz程度ではないでしょうか。周波数だけでなくもっと違う要素も必要だという話はまたこの続きで。


(写真は「オーディオの足跡」というサイトからお借りしました。http://audio-heritage.jp/LO-D/speaker/hs-10000.html

【心の可動域】

genkiswitch2017-06-07

さて問題です。

(問題1)あるホテルで稼働率が上がると、インターネットのお客様の評価が下がってしまいます。コンサルタントと相談してもなかなか解決できません。さて何故評価が下がるのでしょう。


このブログを読んでいる方はすぐに答えがわかるでしょう。
答えは実際にサービスが下がるからです。そしてサービスする「人」そのものを忘れているからです。働く人は稼働率が上がると接するヒトの数が増えます。カラダは正直です。慣れているとはいっても緊張状態が続くと疲労が蓄積して行きます。カラダとココロは密接に繋がっていて切り離せません。カラダの疲労は心の疲労となります。カラダの疲労はカラダの可動域を狭めます。心の疲労もまた心の可動域を下げるのです。サービスは心の可動域が広くなければなりません。これが余裕です。余裕がなくなれば本質的にサービスが低下します。(ちなみに、これは目の前でその事実を見せることができます。)


(問題2)どうすれば稼働率を上げながら評価を高く保てるでしょう。


(答え)2つの方法が考えられます。一つは休みを増やす。もう一つは稼働率を賃金に反映させる。
休みを増やせば、カラダの疲れも心の疲れも取れます。そうすればサービスは低下しません。この方法の問題は労働力が確保できなくなるということです。もう一つの賃金の方は、働けば働く程給料が上がる訳ですから、働きがいに繋がり、やる気が出てきます。限度はありますが、稼働率95%超が続く日数を賃金に反映して行けば好いのです。一週間続けばプラス幾らというのも一つのアイデアです。でも普通の経営者はどちらもやらないかもしれません。何故って、短期的に観ると儲からなくなるからです。一つ目の答えも労働者が多く必要になって賃金の支払が増えてしまいます。ですが、経営者が本当の意味でお客さんの気持ちに立つことができた時、必ず労働者のことを想い出し、小手先ではないサービス向上ができて長期的な安定に結びつきます。


※みんなココロとカラダの繋がりが判ってないよね。(笑)

【技術と嗜好】

genkiswitch2017-06-03

音楽を聞く機械の一部にスピーカーがあります。世の中にはたくさんの製品が溢れていますが、技術的に成熟しているかと言うとそうではありません。今から25年程前、電子のエンジニアを目指していたころ、「オーディオが趣味」と言うと「アマチュア」扱いされて、鼻で笑われた記憶があります。所属が高精度のICのテストをする部署でしたから、扱う帯域も狭く精度も必要のない(と思われていた)オーディオが素人の遊びに見えるのは仕方のないことでした。でも面白いし装置によって違いが存在することは否定できませんでしょう。今に至ってその技術の曖昧さが判ってきました。オーディオが趣味の人が、それぞれにいい音と主張してもそれは趣味の範囲を超えません。どれだけ高価な重たいアンプを使おうと有名メーカーの最高級のスピーカーを使おうと技術的に裏付けのないものは所詮信号としては「嘘」です。それが「嘘」でないことは技術的に証明するべきものです。「良い音」とは一体どう定義できるのか。その良い音はどう測定することができるのか。その良い音を出すにはどんな構造や素材にする必要があるのか。そういったことがずっと疎かにされてきたのがオーディオの世界なのだと思います。人間の耳が好いと言えばいいのだというのは、趣味の中では成り立っても技術とは呼べません。趣味と技術とは違う視点を持つものなのです。逆に技術的な裏付けが取れていても趣味の世界を満たせないとすればそれは、その技術の裏付けが不十分だということになります。双方から満足できるモノを双方を満足させる測定方法で作り上げて行くことが、本当の技術的進歩に繋がります。


※この話は続きます。写真は「無線と実験・1996年10月号」よりお借りしています。