genki switch

祁答院町黒木817-4で整体してます。

【答えの全文】

やっぱり全文を載せておくべきだと思ったので。


「全生」平成18年11月号p7 「語録 野口晴哉」より


 人は死ぬというが、私には慢性的自殺か他殺でしかないように思われる。健康指導三十二年、十数万人の人に接した私も、死ぬ人には稀にしか会わない。自殺、他殺の慢性症ばかりだ。これで人間の寿命とか天命とかを語る訳にはゆくまい。過食、不安、その他自殺手段は一々挙げる必要はあるまい。


 戦争前後の耐乏生活で弱い人は死んでしまった。残った強い人々は、更に食料不足の鍛錬を経て、食料豊富の今日に至った。人間はこれで丈夫になったというべきだろう。


 五十か六十で老人になっている人が多い。七十か八十で老人のつもりの人もある。人間の寿命をそう短く決めている心が、人間の仕事をする態度を焦らせる。百年働くつもりで計画し、スタートするくらいのつもりでいなければ、真面目な仕事が出来る訳はない。


 病気は体力を養うことのできる人にあっては、その鬱散のための一手段に他ならない。一種の健康法として使うべき性質のものだ。これを怖れ、病いを病気にしているのは体力を養うことを知らない人だ。整体の道を伝えることは、病気を治す為ではない。体力啓発の方法を教える為である。


 病気を治すために、ムキになって息巻いている人がある。三日早く治ろうと、十日早く治ろうと、すでに病気していることは同じだ。そのあと、蛇が皮を脱いだようにさばさばした心身に立ち至らしむことにだけ、整体ということの意味がある筈だ。病んで弱るようなら、放っておく方が反って健康法となろう。


 病気を治す方法があると思うから、病気であることに焦りや怖れが出てくるのだ。完全に治療法がなくて、しかも自ら治っていく事実を見極めれば、人間は病気も月経と同じ生理現象として、経過する技を会得するだろうに。


 治そうと思うことが、病いを病気たらしめているのだ。治るものだという見極めのつくまで、一切の治療行為を全廃してしまうことが、その近道であろう。それを乱暴だと考える心がすでに病気をしている。


 自分の為の逃げ道を、一切自分で閉じてしまうことだけが、弱い人を強くする。そして自分で自分に言い訳するような、自分に対する見栄を一切かなぐり捨て、裡の力で行動すれば、その一挙手一投足は逞しい人間を造ってゆく。


 自分を逞しく、強く育てることを心掛けないで、幸いを得ようとするが如きは、猿が月をとろうと樹上に登って、背伸びしているのに等しい。自分を逞しくする道は、ただ一つ一つ行動していくだけだ。懐手で戸惑っている間は、強くなりっこない。まして他人の力にすがらんとし、運に頼らんとし、神仏に祈っている如きことをしていれば、益々弱くなるのみだ。   


(昭和三十年)
以上